飯島太千雄 | ≪ 略 歴 ≫ |
飯島太千雄(いいじま・たちお) 1942年(昭和17年)1月、書家飯島春敬・敬芳の三男として東京・六本木に生まれる。学習院大学文学部仏文学科四年中退。書藝文化新社において、多くの複製、学術書の編集制作を、撮影を兼務して行なう。傍ら書道史研究論文を「墨美」・「書品」などに発表。80年に退社し、以降は著作・制作に専心する。編集工房「書玄」主宰。 |
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カット/「漢字の絵本」全3巻より 書玄 156-0057 東京都世田谷区上北沢4−3−12 電話03(3306)0641 FAX03(3306)0651 ホームページURL https://shogen.info/ メールアドレス:shogen@office.nifty.jp |
『弘法大師書蹟大成』全5巻・別巻3(共著) 1979年6月 東京美術刊 | |||
『字典書譜』 1980年1月 東京美術刊 | |||
『王羲之大字典』 1980年11月 東京美術刊 | |||
『王羲之書蹟大系』全14巻・別巻3(共著) 1982年6月 東京美術刊 | |||
『空海大字林』全2巻 1983年3月 講談社刊 | |||
『中国碑法帖精華』全25巻(共著) 1984年2〜4月 東京書籍刊 | |||
『顔真卿大字典』 1985年3月 東京美術刊 | |||
『王羲之名品選集』全9巻 1985年〜1987年 西東書房刊 | |||
『上田桑鳩臨 祭姪稿』 1988年11月 書玄刊 | |||
『千字文字典』 1988年12月 東京堂出版刊 | |||
『般若心経秀華』 1990年6月 講談社刊 | |||
『法名戒名揮毫寶典』(共著) 1991年8月 東京堂出版刊 | |||
『般若心経のこころ』(共著) 1992年7月 プレジデント社刊 | |||
『良寛墨蹟大観』全6巻(共著) 1992年11月〜1994年8月 中央公論美術出版刊 | |||
『般若心経の道』 1993年2月 弓立社刊・慈光寺刊 | |||
『常用六体字典』 1993年4月 ぎょうせい刊 | |||
『良寛名品選集』全5巻 1994年10月 雄山閣出版刊 | |||
『王朝の紙』 1994年11月 毎日新聞社刊 | |||
『漢字の絵本』全3巻(共著) 1995年11月 小学館刊 | |||
『書体大百科字典』 1996年4月 雄山閣出版刊 | |||
『良寛百選』(共著) 1996年10月 日本経済新聞社刊 | |||
『空海色紙揮毫宝典』 1997年1月 東京堂出版刊 | |||
『あなただけの名品般若心経』 1997年1月 小学館刊 | |||
『王羲之名品字帖』全8巻 1997年2月 雄山閣出版刊 | |||
『名歌古筆集成』全8巻――第1巻「春一」1999年1月 | |||
第2巻「春二」1999年6月・第3巻「夏」2000年2月 | |||
第4巻「秋一」2001年5月・第5巻「秋二」2002年2月 | |||
書藝文化新社刊 | |||
『女の書』 2002年12月 NHK出版刊 | |||
『空海入唐』 2003年10月 日本経済新聞社刊 | |||
「密教の聖者−空海」(共著) 2003年11月 吉川弘文館刊 | |||
『般若心経の歴史と祈りの美学』 2005年10月 清林寺刊 | |||
――空海―― |
『墨美』(主幹/森田子龍・墨美社 廃刊) |
――王羲之―― |
『書品』(主幹/西川寧・東洋書道協会 廃刊) |
「王羲之の尊重」「王書の概要」「王書の時代性」「王書の実像」「書譜と王書」 | |
(『王羲之大字典』1980年) | |
「王書の実像――その2」「淳化閣帖所収王書一覧」「澄清堂帖所収王書一覧」 | |
「澄清堂帖諸帖相関関係及び復元表」「墨蹟本一覧」「諸集帖収載尺牘帖一覧」 | |
(『王羲之書蹟大系』研究篇1982年) | |
「王羲之 喪乱帖等墨蹟及び刻帖」解題(『中国碑法帖精華』4・1984年) | |
「王羲之 集字聖教序」(『中国碑法帖精華』6・1984年) | |
「王羲之 十七帖三種」解題(『中国碑法帖精華』5・1984年) | |
「羲之墨蹟集」解題(『王羲之名品選集』1・1985年) | |
「楽毅論五種」解題(『王羲之名品選集』2・1986年) | |
「十七帖二種」解題(『王羲之名品選集』5・1985年) | |
「十七帖論争」(『書苑案内』2号・1985年11月) | |
「王書の実像と新資料」(『書苑案内』1号・1985年11月) | |
「淳化閣帖所収王書一覧」(『王羲之名品選集』6・7・8・1986年) | |
「淳化閣帖と十七帖」(『王羲之名品選集』7・1986年) | |
「王右軍帖」解題(『王羲之名品選集』9・1986年)・「王書の殿堂、 | |
澄清堂帖」(『王羲之名品選集』10・1985年) | |
「集王金剛経」解題(『王羲之名品選集』14・1987年) | |
「王羲之書法の到達点」(『墨』124号・1997年1、2月) | |
「日本の王羲之」(『修美』64号・1998年10月、修美社) | |
「天智天皇によって拡められた王羲之の書法」(『日本歴史』608号・1999年) | |
「王羲之の生卒年――試考」(『修美』80号・2002年10月) | |
――顔真卿―― |
『書のフォーラム』(主幹/松岡和雅・翠書房 廃刊) |
「顔真卿 大唐中興頌」解題(『中国碑法帖精華』22・1984年) | |
「顔真卿 祭姪文稿等諸蹟」解題(『中国碑法帖精華』23・1984年) | |
「試論――顔書の実像」「顔書の字体・用字法」「書法を中心とする顔書 | |
の研究」(『顔真卿大字典』1985年) | |
「顔書の実像と書法」(『書道研究』6・1990年6月) | |
「空海と顔真卿」(『書のフォーラム』1997年7月) | |
――良寛―― |
「良寛書の万葉集」(『墨』93・1991年11、12月) | |
「良寛の自筆歌集」(『墨』94・1992年1、2月) | |
「良寛墨蹟・文献総括表」 (『良寛墨蹟大観』全6巻・1992年11月〜) | |
「四つ目の良寛」(『墨』115・1995年7、8月) | |
「良寛遺墨の概観――遺墨2078点を分析して」 (『良寛百選』1996年10月) | |
「良寛のぬくもり」(『修美』60・1997年10月) | |
「良寛の遺偈――真蹟出現」(『書のフォーラム』1998年12月) | |
「良寛と王朝かな書法」(『名歌古筆集成』2 1999年) | |
「良寛と貞心尼の新資料」(『修美』69・2000年1月) | |
「捏造された良寛書『橘屋過去帳』」(『修美』88・2004年10月−改定稿『良寛』47号・2005年5月・全国良寛会刊) | |
――聖徳太子―― |
『修美』(修美社刊.TEL03(3837)4445.FAX03(3837)4447) |
「"聖徳太子は実在しない"で、書道史は」1・2・3(『修美』75、76、77号・2001年7、10月、2002年1月) | |
「聖徳太子"法華義疏"考」1・2(『修美』78、79号・2002年4、7月) |
――中国書道史―― |
「智永 真草千字文」解題(『中国碑法帖精華』13・1984年) | |
「孫過庭 書譜」解題(『中国碑法帖精華』21・1984年) | |
「李 麓山寺碑」解題(『中国碑法帖精華』24・1984年) | |
「遂良 伊闕佛龕碑」解題(西東書房刊・1985年) | |
「楷書成立新論」(『書苑案内』4・1986年1月) | |
「真草千字文の書法」(『智永 真草千字文』 西東書房刊・1987年) | |
「近代書道史における鄭道昭の受容」(『墨』77・1989年3、4月) | |
「鄭羲下碑の実像とその臨書」(『修美』65・1999年1月) | |
「集字の文化」1・2(『書のフォーラム』2000年8、9月) | |
「帖字考」(『修美』73・2001年1月) | |
――日本書道史―― |
「秋萩帖双鉤填墨論」(『書品』283号・1985年8月、東洋書道協会) | |
「今、玄ム」(『日本歴史』572号・1996年) | |
「作家としての飯島春敬」1・2(『書道美術』481号、482号・1996年6、7月、日本書道美術院) | |
「書とは何か」(『修美』61・1998年1月) | |
「王朝のかなの多様性」1・2(『修美』62、63・1998年4、7月) | |
「高野切が、なぜ座標軸なのか」(『名歌古筆集成』1・1999年、書藝文化新社刊) | |
「モダニズムと女性のかな」(『名歌古筆集成』1・1999年) | |
「二点の現存唯一の古筆について」(『名歌古筆集成』2・1999年) | |
「光明皇后 紫微中台御書」(『修美』66・1999年4月) | |
「上田桑鳩の臨書の世界」1・2・3(『書のフォーラム』1999年6、7、8月) | |
「本願寺三十六人集の女たち」1・2(『修美』67、68・1999年7、11月) | |
「歴史に抹殺された女性の書」(『日本歴史』620号・2000年1月) | |
「本願寺三十六人集は、男女十人ずつによる草子合であった」(『名歌古筆集成』3・2000年) | |
「春敬の出版活動、六十年」(『平安の書の美』展図録・2000年2月・書藝文化新社刊) | |
「古筆の見方」1・2(『書のフォーラム』2000年2月、3月) | |
「ちらしの文化論」1・2・3・4(『修美』70、71、72、74号・2000年4、7、10月、2001年4月) | |
「寸松庵色紙を復元する」(『名歌古筆集成』4・2001年) | |
「新出――冷泉家蔵唐草装飾本三十六人集は、藤原俊成監修で権中納言藤原実家が制作したものだった」 | |
(『名歌古筆集成』5・2002年) | |
「近代詩文書との関連において語るもう1人の先駆者――飯島春敬」(『書に遊ぶ』11号・2002年3月) |
「開宗千二百年 最澄の書を巡る諸問題」(『修美』84号・2003年10月) | |
「謎の多賀城碑考」1・2・3・4(『修美』89・90・91・92号・2005.1〜11月) | |
「最澄の書の今日的問題」(『大法輪』2005年10月) | |
「明治までの書法の変遷」(『書―戦後六十年の軌跡』共著、2005年10月8日、美術年鑑社刊) | |
年表「日本の書法の流れ」(同上) | |
――般若心経―― |
「心経流伝」(『般若心経秀華』1990年6月、講談社刊) 「心経写経の変遷」(同上) 「書芸術としての写経」(同上) 「日本の心経」(同上) 「唐代、心経信仰の実相」(「心経流伝の謎」『般若心経のこころ』共著・1992年7月、プレジデント社刊) 「日本に心経を弘めた玄ム」(同上) 「空海の心経」(同上) 「玄奘訳心経の存疑」(『般若心経の道』1993年1月弓立社・慈光寺刊) 「隅寺心経の謎」(同上) 「玄ムが広めた般若心経」(同上) 「般若波羅蜜多心経関連年表」(同上) 「般若波羅蜜多心経校異表」(同上) 「般若波羅蜜多心経資料一覧」(同上) 「貝葉梵字心経」(『あなただけの名品般若心経』1997年1月、小学館刊) 「紫紙金字集王書心経」(同上) 「隅寺心経」(同上) 空海書「破体心経」(同上) 「仁和寺旧蔵心経」(同上) 「最澄紺紙金字集字心経」(同上) 「鼠跡心経」(同上) 「紺紙金字心経」(同上) 「紺紙金字一字宝塔心経」(同上) 近衛家煕書「一字紅蓮心経」(同上) 池大雅「般若心経」二軸(同上) 後桜町天皇書「かな心経」(同上) 良寛書「般若心経」(同上) 高村光太郎書「紫紙金字心経」(同上) 杉本健吉「絵心経」(同上) 「写経の寺・慈光寺」(同上) 「隅寺心経と写経について」("The Core Sutra of Perfect Wisdom" 『英語訳般若心経』リービ英雄訳・共著、2005年10月、清林寺刊) 「般若心経の歴史」("The Core Sutra of Perfect Wisdom and the Aesthetics of Prayer" 『般若心経の歴史と祈りの美学』英語訳/乾侑美子、2005年10月、清林寺刊) 「祈りの美学」(和・英文、同上) 「貝葉梵字般若心経」(和・英文、同上) 「紫紙金字集王書般若心経」(和・英文、同上) 「隅寺心経」(和・英文、同上) 「集最澄書紺紙金字般若心経」(和・英文、同上) 空海書「破体心経」(和・英文、同上) 良寛書「般若心経」(和・英文、同上) 後桜町天皇書「かな書き般若心経」(和・英文、同上) |
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