飯島太千雄 | ≪ 著 書 ≫ | 前|次 |
27.新刊 『空海入唐−虚しく往きて実ちて帰らん』
日本経済新聞 2004年3月13日(土曜日) 編集委員 河野孝氏筆 |
産経新聞 2003年11月8日 (土曜日)稲垣真澄氏筆 |
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仕様 A4・304P・ハードカバー・かがり綴上製本 2003年10月9日 第1刷発行 日本経済新聞社 定価(本体2200円+税) |
『空海入唐 虚(むな)しく往(ゆ)きて実(み)ちて帰(かえ)らん』 空と海……その名の根元的な意味を求めて室戸岬に立つ。あるいは、西安・大雁塔に登り、西方を望んで、玄奘三蔵に重ね合わせて空海を想う――。 空海研究に30年をかけた書道史家が多くの定説を覆し、いま世に問う新たな空海像。 入唐までの謎の7年間を解明、稀代の表現者・空海の唐における華やかな姿を描く。(帯より) 弘法大師空海入唐1200年記念 |
《定説への挑戦と反証》 定説化している空海入唐直前・三十一歳出家説を否定し、二十五歳出家説を提示。 密教を受法した空海を迎えに、奇蹟の如く入唐した遣唐判官は、実は最澄たちを日本に送った唐使を送り届けるためで、空海はその派遣を事前に知っていたという説の提示。 空海の密教求法は私的意図で、遣唐留学僧としての公務は、三論宗の修学だった。そして任期二十年の留学を二年で切り上げ帰国した任務放棄は、空海の人生を暗転させた。(帯より) |
「空海は、不可思議だ。三十年近く空海を追い求め、三百余枚の小稿によって、その半生をかなり明確に提示し得たと思いつつ、なお不可思議だ。」 ――略―― 「少年の日、宝物にしていた屋根形プリズムがあった。角の一部が、ぎざぎざになったそのプリズムの触感が、今でも掌中にある。空海は、プリズムではなかったか。眼をあてる面によって、空海は七色の虹に縁取られ、また万華鏡となる。そして、こちらの視線がまっすぐでないと、像は歪んだり、見えなくなる。万華鏡こそ曼荼羅。そう、プリズムは空海曼荼羅だったのだ。少年の日、プリズムはいつでも握られ、汗ばんでいた。」(後記より) |
★★★★★ 著者もまた、すばらしい表現者 2003/11/03 レビュアー:恵雛真佐子 東京都 出だしから著者の意気込みと迫力が伝わり、室戸岬の果てしない大きな空と広い海が目に浮かんでくる。著者の空海をたどる「心」は、誰のものでもない、著者自身の「心」であり、心の奥深いところから湧き上がる「人間愛」そのものではないだろうか……。「表現者・空海」を著す飯島太千雄氏自身もまた、すばらしい表現者であり、空海も喜んでいることだろう。 ★★★★★ 「表現者」空海 2003/12/18 レビュアー:矢中健太郎 東京都 万能の天才・空海は、丸ごと不思議な存在でもあり、本好きの好奇心を多面的に刺激する。その山ほど有る空海・密教・マンダラ関連図書に、また1冊が加わった。しかし本書のアプローチは、実に風変わりである。と言って、邪馬台国=ジャワ論のような奇説ではない。あえて舞台の一部にだけ強烈な照明が当てられた効果で、読み終わった時、これまで見たことのない空海像が浮かび上がってきた。まず意表を突くのが、空海の謎だらけの前半生だけに期間限定されている点である。普通、ここは書きようがないのでラフ・スケッチで済ませ、偉大な弘法大師の後半生を中心に書くものだろう。更に著者の独壇場は、書道(史)から切り込む謎解きで、次から次へと新説が繰り出される。それがとてもスリリングで、ミステリーを読む気分になる。例えば空海の有名な三教指帰(さんごうしいき)と、24歳の時に書いた聾瞽指帰(ろうこしいき)の綿密な比較。空海入唐1200年記念の今年、私は京都の「空海 高野山」展で(東京は来春)、聾瞽指帰という国宝を初めて知り、圧倒され凝視しつづけた。その感動が残っていたので尚更、著者の精緻な分析にまさに目から鱗が落ちる思いがした。(細かすぎると感じる部分は斜め読みしても支障はない。もったいないが。) それにしても空海の定説に挑戦し疑問を明言するなどという行為は、よほど深い研究と自信、権威を恐れず正論で立ち向かう勇気がなければ、できることではない。リアルな写真を示しつつ、「宗教者以上に、表現者」として生き抜いた空海の本質に迫る説得力がその事を実証する。創意工夫の天才、聖俗一致の行動力に改めて舌を巻くと同時に、著者の、どうしても言わずにおれないエネルギーが重なって伝わってきた。あまり空海と縁のなさそうな日経から出版されたのは、日本のビジネスマン諸君、胸を張って自己表現しよう! とのメッセージが込められているのかもしれない。元気が湧き、書道と日本古代史の教養が高まる新・空海論である。 アマゾン カスタマーレビューより引用 |